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珍しく映画をみた

簡単な話

この前ライブに行ったこの人が主題歌を歌ったらしく

CDも(CDRだけど)会場で売るというので、CDだけ買えればそれでも良かったのですが、せっかく渋谷まで出かけるのですし「今、僕は」を見てきました。

 

以下、ネタバレ含む感想、かなり毒

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見ていて、あちこち腹が立ちました。

 

ニートだの引きこもりだの、やや自閉症っぽく描いていた主人公。

映画だから会話がないと進まないし、暴力シーンもありましたけど、はっきり言って「この程度ならまとも」

実際はもっとひどい人の方が多いと思うし、毎日アザを作っている家族もいるはず。問題を提起する映画としては描き方が足りないと思った。

逆に言うとそれが「ドキュメンタリーとの境界」なのだろうか

 

もう一つ、母親の死、藤澤の事故

一人になるという状況、そしてショックのために必要とは言え、安易過ぎる。

「死」と「ニート」ではどちらが重要なテーマか

「重病→家賃が無くて追い出される」なら納得がいくけれども、死に直面してしまうと誰でも変わらざるを得ない。ニートゆえのことか、死の問題かテーマがぼやける。

 

それを置いておいて、ラストシーンは良かったかな

主人公泣いて、ハイ終わり。

 

はじめは終ったことに気づかなかった

次の瞬間は、あれ、終わり? とがっかりした

ニートに対する監督の意見はどこにあるのか、結論を出さないのかと不思議に思った。

何故、結論を出さないのか、すこし考えてみて、これ以外にラストシーンがないということに気づき「やられた!」という気分になった。

テーマは重いけど気分はすっきり。

 

でも、この主人公は更正しないでしょうね

泣いた=カタルシスに結びつける人が多そうだけど、そんな単純なものではない。

泣いたのは、暴力・母の死・事故・それでも追って来るヤツ、いろいろ表に出したい物が溜まって、泣く・悲しむ・怒る、諸々の感情を出したいところ、自閉症ゆえに感情を出すことが出来ず(我慢するのではなくて出し方を知らない)、溜まりに溜まって、ダムが決壊するように表に出たのがラストシーンではないかと思う

 

要するに、治ったわけでも更正に向かったわけでもなく、一瞬だけ殻が割れた瞬間。それを光と見るのも個人の自由とはいえ、更正に向かうという見方は甘すぎて腹が立つ。殻が割れても外に向かうベクトルの大きさは0だから。

泣いた位で変われたら普段がんばっている人が浮かばれない。

 

個人の壁、社会の壁、家族の壁

実は一番厚いのが家族の壁。個人の壁が破れても社会に出るのは難しい。

この映画では家族の壁がもう無くなっているのが一つの救い。現実はそうはいかない。

 

この映画を見て「考えさせられた」と言い、「周囲の助けが重要だと思った」と言い、ましてや「悟が更正すると良い」なんて言っちゃう人はどれだけお人よしなんだろう。

きっとこういう苦労とは無縁で、ニートのひどさにショックを受けて、助ける人(そしてそれは自分ではない!)がいれば更正できるような期待をもったに違いない。

そして、意地の悪いことを言えば 「自分がその状況になくてよかった」と胸を撫で下ろしていないか?

 

終演後の会場にある複雑ながらどこかほっとしている表情に腹が立つ。

さらに自分も少なからずその一人になってしまっている事実。

 

冗談じゃない、これは「すぐ隣にある現実」の一つだ

 

 

 

とりあえず、昭乃さんファンだからCDを買いに行くついでに見ようと思う人へ

1000円分の価値はあります。見ても損した気分にはならないはず。

ただし、面白いものではないし、覚悟してから見ないとショックが大きいかもしれないですよ。

 

 

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